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伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ

2017年12月27日 10:30

先日、三重県の伊勢神宮、伊勢・志摩の鳥羽・英虞湾、名古屋に行ってきました。

日本でのサミット開催地の沖縄でのブセナテラスホテル、洞爺湖でのウィンザーホテルと
それぞれ数回ずつ宿泊したことがあるので、伊勢志摩サミットの会場の志摩観光ホテルも
宿泊を希望しましたが、叶いませんでした。

「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ尾張名古屋は城で持つ」は伊勢音頭の歌詞である。

三重県には、「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」と「東海道中膝栗毛」の野次郎兵衛・喜多八も
桑名で焼き蛤を肴に酒をのんでいるシーンがある。ドライブインで「桑名にきたら蛤を桑名(食な)」
という看板があったので、食しましたがおいしかったです。

「津」は世界で一番短い駅名として話題になるが、伊勢津藩主の藤堂高虎の事をすぐ思い出
したことがあった。

天海僧正が、東叡山寛永寺は、徳川家光の時代に伊勢津藩主の藤堂高虎、弘前藩主の
津軽信枚、越後村上藩主堀直寄の三家の大名下屋敷を潰して建立したものです。寛永寺は
天台宗関東総本山の寺院で本尊は薬師如来である。

そして、不忍池(しのばずのいけ)は琵琶湖に見立てて、京の比叡山延暦寺に模して上野の
丘に東叡山寛永寺を創建した。

不忍池の地名の由来は、上野台地と本郷台地の間の地名が忍ケ丘と呼ばれていたことに
由来すると石碑にある。が異説では周囲に笹=篠(しの)が多く茂っていたことから
篠輪津(しのわず)が転じて不忍になったという説もある。
「津」は、類似語に港・湊であるが、この篠輪津の「津」は縄文時代まで、東京湾の入江
として海水が来ていたので「津」という。
三重の津は、伊勢神宮にお参りするための、船着き場からの地名である。

因みに、弥生式文化とは不忍池の傍の本郷台地にある弥生町の地名から命名されたもので、
海の幸の豊さ、水田農耕と行っていたことが想像できる。

伊勢市には、切手の絵柄になった夫婦岩・二見興玉神社がありますが、蛙(カエル)の置物が
沢山ありますが、浄土にカエルとの方便を教えるためとのこと。

不忍池は、明治17年不忍池の周回を明治天皇が観戦した天覧試合を、春秋二回開催
したところでもあります。
不忍池が選ばれたのは、パリ・ブローニュの森にあるロンシャン競馬場などを意識、
貴族の社交場・屋外の鹿鳴館として上野公園内が相応しいと定めたとあります。

ロンシャン競馬場では、現在凱旋門賞を開催していましたが、バッグなどのブランド品は
馬具屋が、longchamp(ロンシャン)、HERMES(エルメス)、COACH(コーチ)は、もともと馬具の
革製品の創業者です。

馬具の鞍(くら)を英語ではサドラ(saddle)ですが、馬具屋をサドラーといいますが、
自転車の腰掛をサドルといい、昔の自転車は革のものを使用装着されていました。

今年の年賀状の絵柄は、夫婦岩・二見興玉神社から見た朝日をしましたが、
私も間もなく古稀を迎えるので浄土でなく、青春に「カエル」、と生きたいものです。

ジオパークボスは、中山競馬場で4着の掲示板、次走が14着という着順でしたが、
放牧調整に入りました。調教師から次走は、ダートから芝を試したいとのこと。
ジオパーククィーンは、笠松競馬場で、2着、1着と頑張っています。
馬ばかり走らせることなく、私も走り続けます。

                                     平成29年12月31日
                                           小関勝紀
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