移民・移住・亡命

2013年10月30日 14:57

 新国立劇場で、日本のシンドラーといわれる杉原千畝(ちうね)の実話をテーマにした
「SENPO」という、ミュージカルを観劇しました。
外国人には名前の「ちうね」が発音しづらく、「せんぽう」としたとのこと。

 日本の領事館があった、リトアニアの副領事のとき、ビザ発給して、ナチスの迫害から逃げるため
リトアニアに脱出したユダヤ人難民の6,000人の亡命を助けたという内容ですが、
モスクワに向かい、シペリア鉄道経由で、ウラジオストックからソビエト船で日本に向けて神戸港に入国した。
日本からの、先はバラバラの国へ移住した。

 先場所引退した「把瑠都」という、関取はバルト海に面した、このリトアニアの隣国のエストニアの出身です。
「SENPO」のミュージカルの台詞の中に「日本を経由して、南米オランダ領のキュラソー島へなら、
ユダヤ人も差別なく行ける」というものがありました。

 キュラソー島は、今年日本で、ホームラン王となったヤクルトの、バレンティンの国です。
南国の島キュラソーが、次の亡命国として希望していたようです。実際は日本からは、
アメリカ、イスラエル、香港、上海と亡命したようです。

 福島の原子力発電所の汚染事故により、田舎を追われている移住している福島の人々は、
国内とはいえ大変なことです。
福島といえば、NHKの大河ドラマ「八重の桜」の会津藩は廃藩となり、
藩が取り潰しになり旧会津藩士の一部が北海道に移され、小樽・余市などの開拓に当てられた。

 また、同時に会津松平藩の再興が認められ、旧南部藩内(盛岡)に領地を与えられ、
移住した地を斗南藩と称した。
斗南藩は後に北海道に領地を与えられ、少数であったが旧会津藩士が北海道に移住した。  
この人たちが屯田兵として北海道開拓の重要な役割を果たした。

 江戸時代に、稲田藩が蜂須賀家の争いから、領地を取り上げとなり、淡路島を追われて、
北海道の日高・静内町(現新ひだか町)に移住したのである。
この実話が吉永小百合の「北の零年」という映画です。
この人たちは、競走馬・サラブレッドの生産を手掛けた。

 日高・浦河町には、神戸からキリスト教の迫害から逃れてきた、赤心社という組織がありますが、
この中の馬術に優れた鈴木清らが、日高・浦河町に入稙して現在の競走馬生産の首座を占めているのです。
昔は国を追われるということは、よくあったことです。

 日本から、移民でブラジル、ペルー、ハワイ、満州等に永住した日本人の心意気とは、
どのようなものだったかは、計り知れないものがあります。

 私は日高・様似町からの出稼ぎ難民・会計士界のサラブレットです。


平成25年10月31日
 小関勝紀
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://kosekikatsunori.blog109.fc2.com/tb.php/48-d5308a84
    この記事へのトラックバック