2022年12月26日 16:49
明けましてお目出とうございます。
今年もよろしくお願いします。
運転免許証の更新が、年明け早々にあるのですが、忙しくならない
うちにと思い、運転免許更新のため12月1日北海道に行きました。
本来は北海道の様似町に住所があるため、浦河町まで行かなければ
ならず、最低3回で行かなければ終わらないとの事で、色々調べたら
一日で終わるところは、ゴールド免許なので札幌の桑園自動車教習所と、
手稲警察署で完了するとの事で、講習・実技と認知症検査が無事終わっ
たが、警察署での免許更新はできず、再度免許更新に行かなければな
らない。
「運転免許取得者教育終了証明書」、「認定認知機能検査結果証明書」
の交付だけは受ける事は出来ました。
認知症検査では、70歳以上の人ばかりの部屋で、私と同じ年齢と思うと
行動にショツクを受ける程の衝撃のシーンばかりでした。
逆走、アクセルとブレーキの踏み違いの事故がある事には理解できます。
私も年明けには「後期高齢者」の75歳となりますが、我々世代は戦後の
1947年(昭和22年)から1949年(24年)生まれですが、戦後のベビーブーム
という「団塊(だんかい)の世代」と言われ日本国の人口分布では、圧倒的
に多い世代です。
第二次世界大戦の終結に伴って、大正世代の若い男性が復員し、若い
男女の婚姻急増に伴い出生人口の大幅な増加により第一次ベビー
ブームが発生したのが、「団塊の世代」というのが私たちの世代です。
「団塊の世代」という言葉はこの年代の老後の事態現象を題材にした、
堺屋太一の小説の題名であります。
厚生労働省の統計白書でも、「団塊世代」と言っており1947年から
1949年の出生人口が年間260万人でこの三年間で、780万人で、
近年の2021年
では84万人で三年間でも252万人であるから比較すると三倍超の
人口となります。
私の様似中学時代は一クラス50人から55人の6クラス、高校時代
は55人の3クラスと教室はギッシリという体制でした。この世代が
75歳となっています。
同級生の東京の小学校では午前と午後と分けて授業していたと
聞きました。
大学受験も四当五落と言われた程の合格難、「受験生ブルース」
という歌がありましたが、田舎育ちの私には受験勉強は無縁でした。
高度経済成長期であったので、工場、商店などの中小零細企業に
「金の卵」と呼ばれ集団就職により、日本経済の底を支えた世代です。
大学時代は、既存社会体制への反発から学生運動と呼ばれた大学
改革、安保闘争、ベトナム戦争反対と新左翼的な活動を支えた世代
です。
私の昭和43年の20歳の時代は、三億円事件、國際反戦デーの新宿
騒乱罪、佐世保港にアメリカの原子力潜水艦エンタープライズ号の
寄港反対運動、
メキシコオリンピック、ヒッピーの出現、サイケデリックのファツション
の流行と、現在より激動の時代であった感じています。
日本においては、団塊の世代が高齢者になった時の年金、医療費、
介護施設等の社会問題の歳出を抱える事となりました。まさに「老人
栄えて国滅ぶ」です。
もともと、人生50年の寿命で考えた年金制度であるが、現在は健康
寿命が70歳として、日本でも経験したことがない人生100年時代であ
るので日本国も税金の歳出が増加して大変となる。
いま、日本は世界一の長寿大国で、男性81.47歳、女性87.57歳です。
これから何十年も生存するとなると「団塊世代」の生活保護受給者の
増加、年金支給額の増加、医療費増加、介護施設の不足、高齢犯
罪者の増加等国の財政も大変となります。
今年の世相を表す一字の漢字に、「戦」という漢字になりましたが、
仕事、受験と戦ってきた世代でもあります。
栄養ドリンクのリゲインの「24時間戦えますか」というコマーシャルの
キャッチコピーがありましたね。
老害として迷惑を掛けず、戦わず静かに「老」から「労」と生きたい
ものです。
先日私は12月19日FM東京で収録してきましたが、
放送は令和5年1月15日21時から50分間放送の
カノン「サウンドオブオアシス」
という番組でスマホ、バソコンで聞く放送だそうです。
令和4年12月31日
小関勝紀
今年もよろしくお願いします。
運転免許証の更新が、年明け早々にあるのですが、忙しくならない
うちにと思い、運転免許更新のため12月1日北海道に行きました。
本来は北海道の様似町に住所があるため、浦河町まで行かなければ
ならず、最低3回で行かなければ終わらないとの事で、色々調べたら
一日で終わるところは、ゴールド免許なので札幌の桑園自動車教習所と、
手稲警察署で完了するとの事で、講習・実技と認知症検査が無事終わっ
たが、警察署での免許更新はできず、再度免許更新に行かなければな
らない。
「運転免許取得者教育終了証明書」、「認定認知機能検査結果証明書」
の交付だけは受ける事は出来ました。
認知症検査では、70歳以上の人ばかりの部屋で、私と同じ年齢と思うと
行動にショツクを受ける程の衝撃のシーンばかりでした。
逆走、アクセルとブレーキの踏み違いの事故がある事には理解できます。
私も年明けには「後期高齢者」の75歳となりますが、我々世代は戦後の
1947年(昭和22年)から1949年(24年)生まれですが、戦後のベビーブーム
という「団塊(だんかい)の世代」と言われ日本国の人口分布では、圧倒的
に多い世代です。
第二次世界大戦の終結に伴って、大正世代の若い男性が復員し、若い
男女の婚姻急増に伴い出生人口の大幅な増加により第一次ベビー
ブームが発生したのが、「団塊の世代」というのが私たちの世代です。
「団塊の世代」という言葉はこの年代の老後の事態現象を題材にした、
堺屋太一の小説の題名であります。
厚生労働省の統計白書でも、「団塊世代」と言っており1947年から
1949年の出生人口が年間260万人でこの三年間で、780万人で、
近年の2021年
では84万人で三年間でも252万人であるから比較すると三倍超の
人口となります。
私の様似中学時代は一クラス50人から55人の6クラス、高校時代
は55人の3クラスと教室はギッシリという体制でした。この世代が
75歳となっています。
同級生の東京の小学校では午前と午後と分けて授業していたと
聞きました。
大学受験も四当五落と言われた程の合格難、「受験生ブルース」
という歌がありましたが、田舎育ちの私には受験勉強は無縁でした。
高度経済成長期であったので、工場、商店などの中小零細企業に
「金の卵」と呼ばれ集団就職により、日本経済の底を支えた世代です。
大学時代は、既存社会体制への反発から学生運動と呼ばれた大学
改革、安保闘争、ベトナム戦争反対と新左翼的な活動を支えた世代
です。
私の昭和43年の20歳の時代は、三億円事件、國際反戦デーの新宿
騒乱罪、佐世保港にアメリカの原子力潜水艦エンタープライズ号の
寄港反対運動、
メキシコオリンピック、ヒッピーの出現、サイケデリックのファツション
の流行と、現在より激動の時代であった感じています。
日本においては、団塊の世代が高齢者になった時の年金、医療費、
介護施設等の社会問題の歳出を抱える事となりました。まさに「老人
栄えて国滅ぶ」です。
もともと、人生50年の寿命で考えた年金制度であるが、現在は健康
寿命が70歳として、日本でも経験したことがない人生100年時代であ
るので日本国も税金の歳出が増加して大変となる。
いま、日本は世界一の長寿大国で、男性81.47歳、女性87.57歳です。
これから何十年も生存するとなると「団塊世代」の生活保護受給者の
増加、年金支給額の増加、医療費増加、介護施設の不足、高齢犯
罪者の増加等国の財政も大変となります。
今年の世相を表す一字の漢字に、「戦」という漢字になりましたが、
仕事、受験と戦ってきた世代でもあります。
栄養ドリンクのリゲインの「24時間戦えますか」というコマーシャルの
キャッチコピーがありましたね。
老害として迷惑を掛けず、戦わず静かに「老」から「労」と生きたい
ものです。
先日私は12月19日FM東京で収録してきましたが、
放送は令和5年1月15日21時から50分間放送の
カノン「サウンドオブオアシス」
という番組でスマホ、バソコンで聞く放送だそうです。
令和4年12月31日
小関勝紀
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