2022年09月29日 13:52
先日、立川市の顧問先に行き、五日市街道を走行中に車の中で思い
出し事に、アメリカの支配権下の立川基地があり、当時昭和44年頃に
ベトナム戦争の戦闘機の基地として、真っ黒い戦闘機が停泊していた
ことを思い出した。
立川市砂川にある立川基地は戦後から、朝鮮戦争では米軍の極東最大の
輸送基地、ベトナム戦争での軍事基地であったので、アメリカ兵の風俗街
として、市民への暴力・蛮行としても有名であったところと聞いていました。
当時、立川基地には、ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵が運んで来られ、
アルバイトとして戦死したアメリカ兵が腐敗しないようにプールにホルマリ
ン漬けにされたてあり、夜通し遺体が浮いてきたら、棒で沈めるというアル
バイトが高額であると噂話を聞いた事がありました。
やはり、私より1学年先輩の顧問先の社長がそのアルバイトをやったことが
あると、先日聞いてそのアルバイトの存在が事実であると確認しました。
明治22年(1889年)に、後に国鉄時代(JR)中央線となる私鉄「甲武鉄道」が
内藤新宿駅と終点立川駅間が開通した。
昭和初期より「立川飛行場」として「空の都」として発展して、「立川基地」
となり、昭和52年全面返還となった。昭和31年頃には「砂川闘争・立川基地は
砂川町にあった」という、基地拡張反対運動のニュースは子供の頃、何と
なく覚えています。
現在は、この「立川基地」は「国営昭和記念公園」のほか、「立川広域防災
基地」をはじめ官公庁や研究所と寄与しています。
私は、昭和44年は大学3年生20歳で、地学ゼミ(井尻正二理学博士)所属して
おり、授業の一環として東京医科歯科大学に人体解剖の見学に行きましたが、
その時も解剖用の毛布に包まれた遺体がプールにホルマリン漬けとなって
いる遺体が沢山あった事を思い出しました。
地学ゼミでは、考古学、人類学、地質学、地球の歴史、進化論と、今の職業
には全く関係していないことをやっておりました。
我々のような出来損ないには地学ゼミでなく、恥学ゼミとか痴学ゼミとも言っ
ておりました。
井尻正二さんは、現在医学の進歩に貢献するとして白菊会に加入していた
ので、献体をして鶴見大学で骸骨の標本となっています。
つい最近に、地学団体研究会等の忍ぶ会が茗荷谷の茗渓会館であった時に、
標本として移動持参してきて、骸骨の姿で会員の皆様にお披露目しました。
この東京医科歯科大学の解剖見学の後は、ホルマリンの匂いを衣服につ
けながら、焼き鳥コンパ、麻雀とお決まりのコースであったが、一年先輩の
ゼミ員である応援団の副団長が解剖見学中に気絶して前から倒れて顔に
青丹を作って、応援団副団長・先輩だけに笑うわけにもいかず笑いをこら
えて困りました。
1968年10月21日国際反戦デーでは、新宿駅が火炎瓶、投石、放火、催涙
ガス、機動隊と学生との衝突で火の海と化し、騒乱罪が適用され、学生が
800名近く逮捕された。
その翌年の1969年1月東大安田講堂事件と続く時代であります。
この時代の学生運動は、学費値上げ反対、ベトナム戦争反対、安保
条約反対、成田空港反対等を掲げての学生運動の時代です。
東大安田講堂事件では本富士警察、機動隊を導入したことにより、
益々学生運動に拍車がかかり東京大学では、東大紛争で混乱して
いたので二年間入学試験が中止で新入生不在の時代もありました。
各大学は、学生運動・学園闘争でロックアウトにより授業はなかった
が、学生同士のコミュニケーションはあり、現在のようにコロナウイル
ス感染でのロックアウトで授業はZOOMで行なっているので学生同士
のコミュニケーションがないのは気の毒に思っています。
この時代は東名高速道路全通、人類初の月面着陸、カラー複写機、
パンティストッキング、パイロット万年筆、クウォーツ腕時計、学生運動
安保反対、学費値上げ反対、フォークソング等の変化のあった時代
でありました。1970年は大阪「日本万博博覧会」も開催されています。
ヒット曲では、夜明けのスキャット・由紀さおり、人形の家・弘田三枝子、
禁じられた恋・森山良子、白いブランコ・ビリーバンバン、
港町ブルース・森進一、ブルーライトヨコハマ・いしだあゆみ、
池袋の夜・青江三奈、初恋のひと・小川知子、フランシーヌの場合・新谷
のり子、或る日と突然・トワ・エ・モア、今は幸せかい・佐川満男、
いいじゃないの幸せならば・相良直美、黒猫のタンゴ・皆川おさむ、
どしゃぶりの雨の中・和田アキ子、今日でお別れ・菅原洋一等がありました。
流行語では、「あっと驚くタメゴロウー」、「オー、モーレツ!」、「それをいっ
ちやー、おしまいよ」、「ナンセンス」、「やったぜ!ベイビー」、等があります。
都市の論理・羽仁五郎、断絶の時代・P.F.ドラッカーはよく読んでいた本
でした。
私もあれから、あれから半世紀。 これからも「ボーと生きてるじゃないよ!」
と自分に言い聞かせます。
令和4年9月30日
小関勝紀
9月の出来事
1972年9月29日田中角栄、周恩来と「日中平和友好条約」を締結・国交正常化50年
2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件
2012年9月11日尖閣諸島国有化
出し事に、アメリカの支配権下の立川基地があり、当時昭和44年頃に
ベトナム戦争の戦闘機の基地として、真っ黒い戦闘機が停泊していた
ことを思い出した。
立川市砂川にある立川基地は戦後から、朝鮮戦争では米軍の極東最大の
輸送基地、ベトナム戦争での軍事基地であったので、アメリカ兵の風俗街
として、市民への暴力・蛮行としても有名であったところと聞いていました。
当時、立川基地には、ベトナム戦争で戦死したアメリカ兵が運んで来られ、
アルバイトとして戦死したアメリカ兵が腐敗しないようにプールにホルマリ
ン漬けにされたてあり、夜通し遺体が浮いてきたら、棒で沈めるというアル
バイトが高額であると噂話を聞いた事がありました。
やはり、私より1学年先輩の顧問先の社長がそのアルバイトをやったことが
あると、先日聞いてそのアルバイトの存在が事実であると確認しました。
明治22年(1889年)に、後に国鉄時代(JR)中央線となる私鉄「甲武鉄道」が
内藤新宿駅と終点立川駅間が開通した。
昭和初期より「立川飛行場」として「空の都」として発展して、「立川基地」
となり、昭和52年全面返還となった。昭和31年頃には「砂川闘争・立川基地は
砂川町にあった」という、基地拡張反対運動のニュースは子供の頃、何と
なく覚えています。
現在は、この「立川基地」は「国営昭和記念公園」のほか、「立川広域防災
基地」をはじめ官公庁や研究所と寄与しています。
私は、昭和44年は大学3年生20歳で、地学ゼミ(井尻正二理学博士)所属して
おり、授業の一環として東京医科歯科大学に人体解剖の見学に行きましたが、
その時も解剖用の毛布に包まれた遺体がプールにホルマリン漬けとなって
いる遺体が沢山あった事を思い出しました。
地学ゼミでは、考古学、人類学、地質学、地球の歴史、進化論と、今の職業
には全く関係していないことをやっておりました。
我々のような出来損ないには地学ゼミでなく、恥学ゼミとか痴学ゼミとも言っ
ておりました。
井尻正二さんは、現在医学の進歩に貢献するとして白菊会に加入していた
ので、献体をして鶴見大学で骸骨の標本となっています。
つい最近に、地学団体研究会等の忍ぶ会が茗荷谷の茗渓会館であった時に、
標本として移動持参してきて、骸骨の姿で会員の皆様にお披露目しました。
この東京医科歯科大学の解剖見学の後は、ホルマリンの匂いを衣服につ
けながら、焼き鳥コンパ、麻雀とお決まりのコースであったが、一年先輩の
ゼミ員である応援団の副団長が解剖見学中に気絶して前から倒れて顔に
青丹を作って、応援団副団長・先輩だけに笑うわけにもいかず笑いをこら
えて困りました。
1968年10月21日国際反戦デーでは、新宿駅が火炎瓶、投石、放火、催涙
ガス、機動隊と学生との衝突で火の海と化し、騒乱罪が適用され、学生が
800名近く逮捕された。
その翌年の1969年1月東大安田講堂事件と続く時代であります。
この時代の学生運動は、学費値上げ反対、ベトナム戦争反対、安保
条約反対、成田空港反対等を掲げての学生運動の時代です。
東大安田講堂事件では本富士警察、機動隊を導入したことにより、
益々学生運動に拍車がかかり東京大学では、東大紛争で混乱して
いたので二年間入学試験が中止で新入生不在の時代もありました。
各大学は、学生運動・学園闘争でロックアウトにより授業はなかった
が、学生同士のコミュニケーションはあり、現在のようにコロナウイル
ス感染でのロックアウトで授業はZOOMで行なっているので学生同士
のコミュニケーションがないのは気の毒に思っています。
この時代は東名高速道路全通、人類初の月面着陸、カラー複写機、
パンティストッキング、パイロット万年筆、クウォーツ腕時計、学生運動
安保反対、学費値上げ反対、フォークソング等の変化のあった時代
でありました。1970年は大阪「日本万博博覧会」も開催されています。
ヒット曲では、夜明けのスキャット・由紀さおり、人形の家・弘田三枝子、
禁じられた恋・森山良子、白いブランコ・ビリーバンバン、
港町ブルース・森進一、ブルーライトヨコハマ・いしだあゆみ、
池袋の夜・青江三奈、初恋のひと・小川知子、フランシーヌの場合・新谷
のり子、或る日と突然・トワ・エ・モア、今は幸せかい・佐川満男、
いいじゃないの幸せならば・相良直美、黒猫のタンゴ・皆川おさむ、
どしゃぶりの雨の中・和田アキ子、今日でお別れ・菅原洋一等がありました。
流行語では、「あっと驚くタメゴロウー」、「オー、モーレツ!」、「それをいっ
ちやー、おしまいよ」、「ナンセンス」、「やったぜ!ベイビー」、等があります。
都市の論理・羽仁五郎、断絶の時代・P.F.ドラッカーはよく読んでいた本
でした。
私もあれから、あれから半世紀。 これからも「ボーと生きてるじゃないよ!」
と自分に言い聞かせます。
令和4年9月30日
小関勝紀
9月の出来事
1972年9月29日田中角栄、周恩来と「日中平和友好条約」を締結・国交正常化50年
2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件
2012年9月11日尖閣諸島国有化
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