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五濁悪世(ごじゅくあくせ)の時代

2022年04月27日 16:06

顧問先の医師から、鎌田實さんの「70歳、人生はもっと楽しくなる」
という本が宅配で送ってもらいました。

この本の文章の中に、親鸞の語録「歎異抄」の内容に紹介されて
いました。
歎異抄は、法然の弟子の親鸞のまた弟子の唯円が、親鸞の没後に
書いたものとされている。

以前、歎異抄を読んでいた時に、自力では救われず他力でなけれ
ば救われないという内容であったような思いがありました。

親鸞聖人の言葉に「善人なおもて往生を遂(と)ぐ、いわんや悪人をや」
とは、この悪人とは信仰のない人を指しているとの事です。
決して、犯罪行為をする悪い人とは違うようです。
今、5月8日まで東京国立博物館では、「空也上人と六波羅蜜寺」の
特別展を開催していますが、空也上人は醍醐天皇の息子であったが
財も欲も、おのれさえ捨てて人々の営みに一身を捧げ、「われわれ
人間は、この世に生きている限り、日々、罪を犯します。肉欲、食欲、
睡眠欲に負け、噓偽り悪口を言い重ね、心の中にさまざまな煩悩が
うずまきます。

嫉妬、憎悪、我欲、貪り、自分さえよければいいという利己心は誰の
中にもあります」と言っていますが、一人一人が心に留めていれば、
戦争、内乱のない、安念のいい世の中になりますが。

この「空也上人と六波羅蜜寺」の特別展の見学のため行列が出来て
いましたので、日本もまだまだ見識者がいることには、安堵しました。

展示されている、空也上人の立像は口から六体の阿弥陀仏(南無阿
弥陀仏)が現れているものです。
以前弁護士事務所に伺ったときに、空也上人の「捨ててこそ」という
本があったのでいただいてきたので、改めて読み直し感銘した。
「山川の末に流れる橡殻(とちから)も、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあ
れ」は空也上人の説いた人生訓です。
親鸞聖人の教えの浄土真宗の根本聖典・浄土三部経の一つ「仏説
阿弥陀経」には、末法の世界には避けがたい五つの汚れ「五濁」が
あらわれると記されています。

「五濁」とは却濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、
衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)といわれる五つですが記し
ますと

1.却濁とは、疾病や飢餓、犯罪や戦争などの社会問題が増大し、
時代そのものが汚れている状態
2.見濁とは、汚れた時代において自然に反する誤った価値観が
当然のようになり、邪(よこしま)な思念が常識として蔓延し、思想
の乱れがあらわれる状態
3.煩悩濁とは、怒り、腹立ち、妬み、恨み、欲多く、煩悩が盛んに
なって、さまざま悪徳が横行する状態
4.衆生濁とは、人の道を踏み外すような振る舞いが横行し、心身
ともに、人間の資質が低下する状態
5.命濁とは、命がどんより濁って、本来の輝きを失っていき、生命が
軽んじられて、生きることの意義を見失われ、人生が虚しいものと
なっていく状態
昨今の現在社会の世界・日本の状況は、戦争、内紛と五濁悪世の
時代を感じていますが一寸先は闇と不安になりますが、不安ばかり
あおる風潮はよくありません。
親鸞聖人が出家する少年の時に詠んだ歌に「明日ありと思う心の
仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」がありますが、この歌のように
後悔のない日々にしたいものです。

桜の季節も北の国では、今盛りです。

令和4年4月30日
小関勝紀

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