2020年06月29日 16:12
毎年、東京競馬場のダービーの観戦に行っていましたが、今年の
第87回のダービーは、コロナウイルス感染の影響により無観客で
開催されましたので、競馬場での観戦できませんのでテレビでの
観戦となりました。
競馬場では、昼ごはんをとりながら、ビールばかり飲んで大騒ぎ
していたので、毎年イベントとして昼休みに国家君が代の独唱・
吹奏楽団の演奏があることを知りませんでした。
テレビ観戦なので、平原綾香の独唱による、「君が代 注※1」を聞き、
また歌詞を改めて嚙み締めることができました。
「君が代」の歌詞に、「さざれ石・細石」とありますが、どんな石なのか。
細石というように小石の塊の礫岩が大きな巌となり、さらにその上に
苔が生えるまで国家が繁栄することを願う歌詞です。
王朝が一度も滅びることなく続いている世界最古の国が日本で、長い
歴史が当たり前と思っていませんか。
今日では、苔が生えるのではなく、コロナ菌が生えていますが。
この頃、富士山・浅間山の火山爆発があった時の関東地方での被害が
話題となる事が多いが、旧石器時代以前に、富士山、浅間山の火山灰
からなる火山灰地の地層を関東ローム層といいます。
相沢忠洋さんが、昭和24年群馬県岩宿でこの関東ロームの下の地層
から「黒曜石」の石槍を発見しました。
この黒曜石の石槍の発見が日本には、関東ローム層の地層以前に、
人類が存在していたと、日本の考古学研究を変えたのです。
決して、発掘調査で最古の石器としてばらまいてゴットハンドと言われる
人が虚偽で出土したものではありません。
黒曜石は、人類が発明した最も鋭い刃物といわれています。
日本国での、現在では最古の石器は、野尻湖のナウマン象の発掘で
採取された、「月と星」という、まな板と包丁の役割を果たした石器です。
黒曜石も、この野尻湖のナウマン象の発掘でも、沢山発見されています。
黒曜石は、長野県霧ヶ峰高原の和田峠、北海道の十勝地方で出土され
ますが、縄文時代には鏃(やじり)として加工され、日本全国から出土され
ていますが、物々交換としても、海を渡りどのようにして、この黒曜石が
流通したのか、古代人の移動した行動はすごいです。
テレビ番組で糸魚川周辺の海岸で翡翠の原石を探しているシーンがあり、
この頃は翡翠も黒曜石も、気になっていた。
この糸魚川には翡翠が出土しますが、貴重な「地質の宝物」をユネスコ
世界ジオパークとして、認定されている一つの糸魚川です。
糸魚川は、野尻湖のナウマン象を発見した、同じナウマン氏が発見した
大地溝帯(フオッサマグナ)の端にあたるところで、静岡の大井川から、
新潟県の糸魚川の地溝帯です。日本の地溝帯は、大地溝帯と中央地溝帯
と二つあります。
三種の神器は鏡、剣、勾玉(まがたま)ですが、勾玉はこの翡翠から、
作られています。
古事記に出てくる日本神話の神々は首に勾玉を付けております。
翡翠は糸魚川、黒曜石は長野県の和田峠、北海道の十勝地方と
産地が特定されていますが、日本各地から発見されいますが、
どのような物流で伝わり古代人はどのように入手できたのか
不思議でならない。
そのうえ、勾玉も鏃も、現代のような加工する機械・道具のない
時代に、どのように加工・製作をすることが出来たか不思議です。
私は、黒曜石の原石をもっていますが、眺めながら鏃を加工・製作
するのか考えますが、とてもできません。
今度、糸魚川に翡翠の原石を探しに行きたいと思っています。
翡翠の勾玉は「古事記」、「日本書紀」に表記される先史・古代の日本、
黒曜石の鏃は縄文時代より前の石器時代に日本各地から出土され
ますが、たぶん舟で海を渡って伝わったものと思われます。
さざれ石の歌詞のある君が代は、10世紀の「古今和歌集」の読人知らず
の和歌です。
勾玉も鏃も日本全国から出土されますが、古代人は舟で運び、内陸は
物々交換で伝わったものとされています。
君が代の歌詞の由来とされるさざれ石は、岐阜県揖斐川町春日の
「さざれ石公園」にある石灰質角礫岩とされています。
船による航行は風力による帆によって、江戸後期から明治中期になって、
菱垣廻船、樽廻船、東廻り廻船、西廻り航路、北前船が帆舟 注※2 で
北海道から、日本海側、太平洋岸からと大阪まで往来することができた
のであるが、帆舟ができるまでの古代人は海流に任せて翡翠も黒曜石の
原料の交換も、勾玉も鏃の加工技術も、舟での移動で物々交換・伝授
したといえ、凄い普及です。
「他山の石」とは、他の山から採ったつまらない石でも、自分の宝石を
磨くのに役立てることができるという意味ですが、私の推測では、勾玉は
何らかの他の石で磨いたか、鏃という石器は、石で割って加工していた
ものと考えています。
他人の失敗から学ぶという意味から他山の石になればよろしいのですが。
今思い出しましたが、子供の頃砂浜・河原で拾い、石英閃緑岩という白い
石と白い石を叩くと火花が出る火打ち石があり、花火のように遊んだことを。
地質学では、「石や地層はおしゃべり」とか、「化石のつぶやき」というように、
我々によく話しかけてくるので、「おしゃべり」も「つぶやき」を聞いて創造
しなさいといわれます。
夏目漱石の名前は、「漱石枕流・そうせきちんりゅう 注※3」から「漱石」
と名付けたものです。
令和2年6月30日
小関勝紀
注※1
「君が代」作詞「古今和歌集」詠み人知らず、作曲明治13年林 廣守、
奥 好義
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
君は、キミと呼びますが「キ」は男性でイザナギの「キ」、「ミ」は女性の
イザナミの「ミ」を意味するといわれています。
「君」は「尹」(イン)と「口」からなり、尹はおさめる、つかさどる、ただす
という意味ですが、尹は杖を持った手の意であり、命令をするための
口を加えた字が「君」の語源とされている。
現代の言葉に訳すと
あなたたちの時代(次世代)は、この日本国の長い歴史を受け継ぎな
がら、一人ひとり(個性)を大事にしつつ、協力し、(この国が)末永く繁栄
するようという意味。
以前、すぎやまこういちさんの講演の中で、君が代の旋律は、陰旋法
音階の「ドレミソラ」の5音で構成され、西洋音楽の「ドレミファソラシ」の
7音ではないが、「八千代に」の「ち」の部分のみ「シ」を使い、東洋独特
の陰旋法だけでなく、西洋音楽のエッセンスも入った「和洋折衷」と言わ
れていました。世界で一番短い歌詞の国家であるとも。
注※2
本格的な船の航路は北前船の出現あたりではないかと考えておりま
すが、江戸時代中期から明治中期30年大阪と北海道を日本海回りで
商品を売り買いしながら結んでいた商船は日本の文化を変えたものです。
高田屋嘉兵衛は、明和6年(1769年2月7日)から文政10年(1827年4月30日)は、北
前船として辰悦丸で活躍した人物です。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の小説のモデルとなっている人物で、様似町
にも寄港しています。
注※3
「石に枕(まくら」し流れに瀬(くちすす)ぐ」と言うべきところを、誤って「石に
瀬ぎ、流れに枕す」と言ってしまい、負け惜しみが強いことのたとえ。
「石に瀬ぐ」とは歯を磨くことで、「流れに枕す」とは耳を洗うことだ、と
言ってこじつけたという故事。
第87回のダービーは、コロナウイルス感染の影響により無観客で
開催されましたので、競馬場での観戦できませんのでテレビでの
観戦となりました。
競馬場では、昼ごはんをとりながら、ビールばかり飲んで大騒ぎ
していたので、毎年イベントとして昼休みに国家君が代の独唱・
吹奏楽団の演奏があることを知りませんでした。
テレビ観戦なので、平原綾香の独唱による、「君が代 注※1」を聞き、
また歌詞を改めて嚙み締めることができました。
「君が代」の歌詞に、「さざれ石・細石」とありますが、どんな石なのか。
細石というように小石の塊の礫岩が大きな巌となり、さらにその上に
苔が生えるまで国家が繁栄することを願う歌詞です。
王朝が一度も滅びることなく続いている世界最古の国が日本で、長い
歴史が当たり前と思っていませんか。
今日では、苔が生えるのではなく、コロナ菌が生えていますが。
この頃、富士山・浅間山の火山爆発があった時の関東地方での被害が
話題となる事が多いが、旧石器時代以前に、富士山、浅間山の火山灰
からなる火山灰地の地層を関東ローム層といいます。
相沢忠洋さんが、昭和24年群馬県岩宿でこの関東ロームの下の地層
から「黒曜石」の石槍を発見しました。
この黒曜石の石槍の発見が日本には、関東ローム層の地層以前に、
人類が存在していたと、日本の考古学研究を変えたのです。
決して、発掘調査で最古の石器としてばらまいてゴットハンドと言われる
人が虚偽で出土したものではありません。
黒曜石は、人類が発明した最も鋭い刃物といわれています。
日本国での、現在では最古の石器は、野尻湖のナウマン象の発掘で
採取された、「月と星」という、まな板と包丁の役割を果たした石器です。
黒曜石も、この野尻湖のナウマン象の発掘でも、沢山発見されています。
黒曜石は、長野県霧ヶ峰高原の和田峠、北海道の十勝地方で出土され
ますが、縄文時代には鏃(やじり)として加工され、日本全国から出土され
ていますが、物々交換としても、海を渡りどのようにして、この黒曜石が
流通したのか、古代人の移動した行動はすごいです。
テレビ番組で糸魚川周辺の海岸で翡翠の原石を探しているシーンがあり、
この頃は翡翠も黒曜石も、気になっていた。
この糸魚川には翡翠が出土しますが、貴重な「地質の宝物」をユネスコ
世界ジオパークとして、認定されている一つの糸魚川です。
糸魚川は、野尻湖のナウマン象を発見した、同じナウマン氏が発見した
大地溝帯(フオッサマグナ)の端にあたるところで、静岡の大井川から、
新潟県の糸魚川の地溝帯です。日本の地溝帯は、大地溝帯と中央地溝帯
と二つあります。
三種の神器は鏡、剣、勾玉(まがたま)ですが、勾玉はこの翡翠から、
作られています。
古事記に出てくる日本神話の神々は首に勾玉を付けております。
翡翠は糸魚川、黒曜石は長野県の和田峠、北海道の十勝地方と
産地が特定されていますが、日本各地から発見されいますが、
どのような物流で伝わり古代人はどのように入手できたのか
不思議でならない。
そのうえ、勾玉も鏃も、現代のような加工する機械・道具のない
時代に、どのように加工・製作をすることが出来たか不思議です。
私は、黒曜石の原石をもっていますが、眺めながら鏃を加工・製作
するのか考えますが、とてもできません。
今度、糸魚川に翡翠の原石を探しに行きたいと思っています。
翡翠の勾玉は「古事記」、「日本書紀」に表記される先史・古代の日本、
黒曜石の鏃は縄文時代より前の石器時代に日本各地から出土され
ますが、たぶん舟で海を渡って伝わったものと思われます。
さざれ石の歌詞のある君が代は、10世紀の「古今和歌集」の読人知らず
の和歌です。
勾玉も鏃も日本全国から出土されますが、古代人は舟で運び、内陸は
物々交換で伝わったものとされています。
君が代の歌詞の由来とされるさざれ石は、岐阜県揖斐川町春日の
「さざれ石公園」にある石灰質角礫岩とされています。
船による航行は風力による帆によって、江戸後期から明治中期になって、
菱垣廻船、樽廻船、東廻り廻船、西廻り航路、北前船が帆舟 注※2 で
北海道から、日本海側、太平洋岸からと大阪まで往来することができた
のであるが、帆舟ができるまでの古代人は海流に任せて翡翠も黒曜石の
原料の交換も、勾玉も鏃の加工技術も、舟での移動で物々交換・伝授
したといえ、凄い普及です。
「他山の石」とは、他の山から採ったつまらない石でも、自分の宝石を
磨くのに役立てることができるという意味ですが、私の推測では、勾玉は
何らかの他の石で磨いたか、鏃という石器は、石で割って加工していた
ものと考えています。
他人の失敗から学ぶという意味から他山の石になればよろしいのですが。
今思い出しましたが、子供の頃砂浜・河原で拾い、石英閃緑岩という白い
石と白い石を叩くと火花が出る火打ち石があり、花火のように遊んだことを。
地質学では、「石や地層はおしゃべり」とか、「化石のつぶやき」というように、
我々によく話しかけてくるので、「おしゃべり」も「つぶやき」を聞いて創造
しなさいといわれます。
夏目漱石の名前は、「漱石枕流・そうせきちんりゅう 注※3」から「漱石」
と名付けたものです。
令和2年6月30日
小関勝紀
注※1
「君が代」作詞「古今和歌集」詠み人知らず、作曲明治13年林 廣守、
奥 好義
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
君は、キミと呼びますが「キ」は男性でイザナギの「キ」、「ミ」は女性の
イザナミの「ミ」を意味するといわれています。
「君」は「尹」(イン)と「口」からなり、尹はおさめる、つかさどる、ただす
という意味ですが、尹は杖を持った手の意であり、命令をするための
口を加えた字が「君」の語源とされている。
現代の言葉に訳すと
あなたたちの時代(次世代)は、この日本国の長い歴史を受け継ぎな
がら、一人ひとり(個性)を大事にしつつ、協力し、(この国が)末永く繁栄
するようという意味。
以前、すぎやまこういちさんの講演の中で、君が代の旋律は、陰旋法
音階の「ドレミソラ」の5音で構成され、西洋音楽の「ドレミファソラシ」の
7音ではないが、「八千代に」の「ち」の部分のみ「シ」を使い、東洋独特
の陰旋法だけでなく、西洋音楽のエッセンスも入った「和洋折衷」と言わ
れていました。世界で一番短い歌詞の国家であるとも。
注※2
本格的な船の航路は北前船の出現あたりではないかと考えておりま
すが、江戸時代中期から明治中期30年大阪と北海道を日本海回りで
商品を売り買いしながら結んでいた商船は日本の文化を変えたものです。
高田屋嘉兵衛は、明和6年(1769年2月7日)から文政10年(1827年4月30日)は、北
前船として辰悦丸で活躍した人物です。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の小説のモデルとなっている人物で、様似町
にも寄港しています。
注※3
「石に枕(まくら」し流れに瀬(くちすす)ぐ」と言うべきところを、誤って「石に
瀬ぎ、流れに枕す」と言ってしまい、負け惜しみが強いことのたとえ。
「石に瀬ぐ」とは歯を磨くことで、「流れに枕す」とは耳を洗うことだ、と
言ってこじつけたという故事。
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