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「水」

2012年07月30日 12:50

九州地方の大雨の災害には、心よりお見舞い申し上げます。
昭和57年7月の長崎大洪水も死者二百人を超し思い出される。
毎年、水不足で話題にもなります。
みずかめ座の私としては、「水」が気になるところです。

「法」とは、分解すると「さんずい」から、「水」が「去」るようなものであるともいわれる。
「法」の精神とは、正義であるが、法を学び、法を使い、法律知識を独占して、
その知識を、正義のために使わない国民の多くなったことに憂慮する。

「正義の味方」「正義は勝つ」国でなければならない。

老子のことばに「上善水の如し・上善如水」がありますが、
水ほど自己主張しないものはない。丸い器に入れれば、丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。
こんなに従順で弱々しいのに、最終的には岩をも砕いてしまう。

関東と関西では、京都は硬水で昆布だし、東京は軟水でかつおぶしと料理の味、酒の味はそれぞれ違いがある。

今回は、黒田孝高(如水)の「水五則」を引用します。
一、 自ら活動して、他を動かしむるは水なり
二、 常に己の進路を求めて止まざるは水なり
三、 障害にあい、激しくその勢力を百倍し得るは水なり
四、 自ら潔うして他の汚れを洗い、清濁併せ容あるの量あるは水なり
五、 洋々として大洋を充たし、発しては蒸気となり、雲となり、雨となり、雪と変じ霧と化し、
      凝っては玲瓏たる鏡となり、而もその性を失わざるは水なり

また、鴨長明の「方丈記」を引用すると
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かびうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  
云々  

人生・社会も淡々と絶えることなく川の流れのようでなければならない。
地球、人体は水からなっている。 命の源です。

水をさす、水いらず、水に流す、水いり、水かけ論、水際 と言い方があるが、
私も「水」には、流されないように生きたいものです。



平成24年7月31日
小関勝紀
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