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高校三年生

2011年11月02日 16:00

平成23年10月23日千葉県柏市にある、顧問先である
宗教法人大洞院で、作詩家の「丘灯至夫・おかよしお」さんの
三回忌を讃える詩吟・歌声の集いと東日本大震災
チャリティー寺コンが同時に行われました。

丘灯至夫さんといえば、「高校三年生」「修学旅行」
「君たちがいて僕がいた」「高原列車は行く」「襟裳岬」
「千恵子抄」「東京のバスガール」「山のロザリオ」
「みなしごハッチ」「ハツション大王」等数多くの
作詞をした方です。千葉県柏市に住んでいました。

丘灯至夫さんが、NHKラジオの深夜特急便という
番組に出演したときの、話に高校生という憧れから、
高校三年生を作詞したと聞いていましたが、
まさか柏市の顧問先の寺が菩提樹とは知りませんでした。

詩吟で丘灯至夫さんの作曲した日本三部作として
「日本人」「日本讃歌」「日本を愛す」の歌詞(後記)には、
大変感動しました。「日本を愛す」の歌碑は、
御殿場時之栖にありますが、ここは私が、夏にいつも
泊るホテルです。後記にありますが、大震災の後だけに
力づけられる歌詞ですから読んでください。

共に復興を願って「がんばろう東日本」と応援しましょう。
黙祷、摩訶般若波羅蜜多心経の読経、剣武による四方の清め、
カンツオーネ・日本三部作の詩吟・その他の詩吟・作詞メドレーを
合唱して会は終わりました。丘灯至夫さんの奥様が出席して、
挨拶の中で「襟裳岬・島倉千代子」のヒットで、その当時の
幌泉町(現在はえりも町)から、有名にしていただき
感謝されたとの話題を披露しておりました。

小関家の本家はこの「えりも町」です。今でも、襟裳岬では
この島倉千代子・森進一の「襟裳岬・えりも岬」は
スピーカーから流れて観光客の来るのを待ってます。
また、襟裳岬という曲はレコード大賞・紅白歌合戦の
取りをとる名曲です。「高校三年生」が大ヒットしたときは、
昭和39年東京オリンピックの年で、私は高校二年生でした。
今回の集いで偶然何十年か振りで、その寺の檀家・参加者として
出席した方と会い驚きました。もしも、あの当時の高校三年生に
還ることが出来たら、今なにしていることやら。

平成23年10月31日
小関勝紀





「日本人」
(一)雪白し富士の霊峰 花開く山河は青し
  この国に生きるよろこび 誇り高く眉あげて常に歌わん
  われらのその名は日本人 われらのその名は日本人
(二)月を賞で花を愛して酌み交す百薬の長
  友ありて和楽満ち満ち 肩寄せて声高く常に讃えん
  われわれその名は日本人 われらのその名は日本人
(三)幾千年勇気と正義 脈々と受け継ぐ血汐
  この国の歴史を守る 理想かざし胸張りて常に歩まん
  われらのその名は日本人 われらのその名は日本人

「日本讃歌」
(一)北に毬藻の湖や 南火を吐く阿蘇の山 姿些細の島なれど
  ああ日本この美しさわれら讃えん
  敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花
(二)この奥に飾る花 月を愛して酒うまし 父の国なり母の国
  ああ日本この逞しさ われら守らん
  この喜びをこの幸せを われら伝えん

「日本を愛す」
(一)春は緑に桜爛漫 秋は紅葉山河を色どる
  仰げば霊峰富士厳として揺がず
  良きかな日本 若き日本 我ら常にこの国を愛す
(二)東海の小島なれども幾たびの試練を越えて
  歴史は燦たり永久に砕けず
  日の丸の旗をかざして我ら常にたくましく生きる
(三)此の国に生れ育ちて誇り高く歌う喜び
  力あわせて未来を築かん
  良きかな日本若き日本我ら常にこの国を愛す
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