2011年05月09日 19:00
4月9日に北海道・小樽に行くこととなった。
赤坂のクラブのカラオケ大会で、「小樽の人」を歌って、
優勝をしたことがあった。この歌の歌詩に、塩谷の浜辺、
古代の文字とあるが、一度見学したいと思っていたが、
時間が取れたので見学した。
私のゼミの恩師の井尻正二さんが、小樽の出身ということもあり、
小樽には、何かと縁があった。小樽は、小林多喜二、伊藤整、
吉田一穂、井尻正二と四人の有名人がいる。
井尻正二さんが、逝去して、全国から、考古学、古生物学、
地質学の関係者が集い、鶴見大学で偲ぶ会を三年間開催した。
井尻正二さんは、白菊会といって、自分の遺体を献体したので、
現在も鶴見大学で、骸骨となっているので、いつでも会うことはできます。
その偲ぶ会で、たまたま隣の席に小樽美術館の関係者がいたので、
相続の仕事をした相続人の方から、大畠裕さんという画家の
若い時の絵が持っているが、小樽に還したいと相談を受けていたので、
その話をしたら、さっそく小樽美術館で引き取ることとなり、
還す運びとなったが、私はその絵をみたことがなかったので、
まず今回は拝観しようと思っていた。
その関係者は玉川薫さんという人で、今回会うことができたが、
その絵は生憎現在ほか人の特別展があり、倉庫に保管しているので、
拝観はできなかった。小樽文学館に井尻正二さんのコーナーがあるが、
そのコーナーも特別展があり、倉庫にあるとのことで、拝観することができなかった。
それから、井尻正二さんが出版した、実話が絵本の題材となった、
明治時代に活躍した「消防犬ブン」の銅像に会いに行き見ることができた。
この銅像は、小樽運河を見るようにありました。
小樽の有名人には石原裕次郎、水の江滝子といますが、
榎本武揚のコーナーもありました。
榎本武揚は、伊能忠敬の弟子の子供と紹介されていた。
この人は、蝦夷総裁で、江戸下谷御徒町の旗本に
生まれたひとで、その後いろいろ業績を残すこととなる。
平成23年4月30日
小関勝紀
赤坂のクラブのカラオケ大会で、「小樽の人」を歌って、
優勝をしたことがあった。この歌の歌詩に、塩谷の浜辺、
古代の文字とあるが、一度見学したいと思っていたが、
時間が取れたので見学した。
私のゼミの恩師の井尻正二さんが、小樽の出身ということもあり、
小樽には、何かと縁があった。小樽は、小林多喜二、伊藤整、
吉田一穂、井尻正二と四人の有名人がいる。
井尻正二さんが、逝去して、全国から、考古学、古生物学、
地質学の関係者が集い、鶴見大学で偲ぶ会を三年間開催した。
井尻正二さんは、白菊会といって、自分の遺体を献体したので、
現在も鶴見大学で、骸骨となっているので、いつでも会うことはできます。
その偲ぶ会で、たまたま隣の席に小樽美術館の関係者がいたので、
相続の仕事をした相続人の方から、大畠裕さんという画家の
若い時の絵が持っているが、小樽に還したいと相談を受けていたので、
その話をしたら、さっそく小樽美術館で引き取ることとなり、
還す運びとなったが、私はその絵をみたことがなかったので、
まず今回は拝観しようと思っていた。
その関係者は玉川薫さんという人で、今回会うことができたが、
その絵は生憎現在ほか人の特別展があり、倉庫に保管しているので、
拝観はできなかった。小樽文学館に井尻正二さんのコーナーがあるが、
そのコーナーも特別展があり、倉庫にあるとのことで、拝観することができなかった。
それから、井尻正二さんが出版した、実話が絵本の題材となった、
明治時代に活躍した「消防犬ブン」の銅像に会いに行き見ることができた。
この銅像は、小樽運河を見るようにありました。
小樽の有名人には石原裕次郎、水の江滝子といますが、
榎本武揚のコーナーもありました。
榎本武揚は、伊能忠敬の弟子の子供と紹介されていた。
この人は、蝦夷総裁で、江戸下谷御徒町の旗本に
生まれたひとで、その後いろいろ業績を残すこととなる。
平成23年4月30日
小関勝紀
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