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9月のコラム:百人一首

2010年09月01日 10:00

還暦祝いに、桐の木札のカルタ・百人一首をいただきました。
北海道では、小倉百人一首は、下の句を読んで、上の句の札をとるというもので、関東とは、逆です。
子供の時は、お正月には、子供同士でトランプ、花札、双六、いろはかるた、小倉百人一首で遊びました。
おかげで、小倉百人一首の句を還暦がすぎても、すらすらと読めます。

好きなものとして、

「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」持統天皇

「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」山部赤人

「さびしさの 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ」良選法師

「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」伊勢大輔

「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」 紀 友則

「しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」平 兼盛

「天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ をとめ(乙女)の姿 しばしとどめむ」僧正遍照

「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」在原業平朝臣

これを、題材とした、落語は後載にあります。

たぶん、私が上記の好きな歌は、四季折々の変化してやまない自然の景観や、
微妙に揺れ動く恋の気持ちを詠んだ、日本人の美意識が端的に表現されているからかもしれません。
百人一首にはないが、心の相談を受けると、
「山川の 末に流るる 栃殻も 実を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」
空也上人の和歌を引用する。割切って、違う世界を見なさいということです。

「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」の意味は、
竜田川の川面を流れる紅葉を、唐紅色のくくり染めに見立てて、
不思議なことの多い神代でも聞いたことがない。
竜田川が唐紅色に水をくくり染めしているとは。という意味です。

百人一首とは、百人に一人しか、仏法を成就できないという、意味もあると聞きます。

落語になると、『千早振る』江戸時代、人気の大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った際、
「千早」という花魁に一目惚れした。ところが千早は力士が嫌いで、振られてしまう(「千早振る」)。
振られた竜田川は妹の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌いなものは、わっちも嫌いでありんす」
と言うことをきかない(「神代も聞かず竜田川」)。
このことから、成績不振となった竜田川は力士を廃業、実家に戻って家業である豆腐屋を継いだ。
それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪ねる。「おからを分けてくれ」と言われ、
喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。
激怒した竜田川はおからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。
千早は井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた
(「から紅(くれない)に水くぐる」)。
八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、
「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、
隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引にハチ公を納得させた。
やれ安心と思ったところにハチ公が、
「千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる、まではわかりましたが、最後の「とは」は何です」
と突っ込んだ。とっさの機転で隠居はこう答えた。
「千早は源氏名で、彼女の本名が「とは」だった。


平成22年8月31日
小関勝紀
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