過去・現在・未来

2018年03月30日 11:11

会社の経営にも、過去・現在・未来がある。

過去を代表するものが、借入金の返済、現在を代表するものが、売上金と利益、
未来を代表するものが、内部留保と再投資である。

禅宗を開祖した道元の「正法眼蔵」の中には、経営とは「自己の完結を目指して、
様々な工夫・努力を重ねて自分自身をととのえていくこと」又は「極楽浄土の最高
位に到達できるように信念を深め、精神努力すること」とある。

ある寺の掲示板にあったのもですが、保元物語の引用として、「過去の因を知ら
んと欲せば、その現在の果を見よ」「未来の果を知らんと欲せば、その現在の因
を見よ」とあった。

これが、因果応報ということだなと、自分を戒めた。

子供は親の背中を見て育つものです。
それが過去世、現世、来世と繋がるものと言われる所以なのでしょうか。

「過去と他人は変えられない」。「未来と自己は変えられる」。

つまり、人生・運命は努力して自分で作るもの。

子供には、未来がある。映画の題名ではないが、俺達には明日はない。

「今日の明日」、「明日の今日」なので、一日一日努力せよという事です。

昨日の3月29日経営計画発表会があり、その会社の最高経営責任者の講話の
なかに、

「現在は過去の結果」「未来は現在の結果」、

「会社は常に倒産に向かっている」、

「今日の利益を明日の繁栄のために使う」、という言葉があり、同感です。

人は生まれ落ちた時から死に向かって生きている。

一日一膳でなく、一日一善です。

平成30年3月31日

2月27日に愛馬ジオパークボス号三才牡馬が、未勝利戦に優勝してシード権
を得ました。

3月23日に、事務所主催の花見宴席での料理で、参加者13人中9人がノロウィ
ルスの食中毒で、保健所が来るくらい大変でした。

                                          小関勝紀
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山本五十六に学ぶ

2018年02月28日 13:08

今年の、新年の会合での社長の挨拶で、今年の会社のテーマは「若手の育成」
と社長が言われたので、私も、若手の育成に関連する意味で山本五十六の言葉
を、話したらこの言葉を聞いていた若手から、大変参考になりましたと、メールで
お礼がきた。すっかり、気をよくして今回は、このテーマとしました。

以下山本五十六のことばです

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。」

「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」

「苦しいこともあるだろう。」

「云い度いこともあるだろう。

「不満なこともあるだろう。」

「腹の立つこともあるだろう。」

「泣き度いこともあるだろう。」

「これらをじっとこらえてゆくのが、男の修行である。」

実年者の態度

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。

今どきの若者は、全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても
挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。

その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。

何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。

今回の冬季オリンピックでの、若者の活躍をみたら日本の未来も悪くないと思う
反面、「お金より時間」といわれると、日本の衰退も時間の問題なのかも。

「お金もなく時間もない」、「お金はあるが、時間がない」、「お金はないが時間は
ある」は、どれがよいかわからない。
私には、年金はあるが、生きられる時間がない。

平成30年2月28日

                                     小関勝紀

70回目の大晦日を迎えて

2018年01月31日 11:07

論語の一部に、「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」とあるが、
今年の二月に「古稀」を迎えます。

この頃は、大晦日にテレビ番組の紅白歌合戦も見る事も聞くことなく寝てしまうが、
テレビの除夜の鐘が鳴る番組になると目が覚める。 七十歳となる、心構えとして
大晦日に考えたことです。

論語  子曰(しのたま)わく

志学 吾、十有五にして学に志す

而立 三十にして立つ

不惑 四十にして迷わず

知命 五十にして天命を知る

耳順 六十にして耳に従う

従心 七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず   七十までで八十は無く、
この時代には長寿はいなかったということか。

もし私なりに続けるとしたら、八十にして妥協・妥協と諦めて、九十にしてお迎いを待ち、
百にしておかげ、おかげ感謝する。

ついでに、渋沢栄一のことばです。

「四十、五十は洟垂れ(はなたれ)小僧」

「六十、七十は働き盛り」

「九十になって迎えが来たら」

「百まで待てと追い返せ」

またまた、ついでに 安田善次郎のことば

     「五十、六十は鼻たれ小僧」

     「男盛りは八十、九十」

  またまたまた、ついでに一休宗純のことば

     「六十、七十は、はなたれ小僧」

     「男盛り百から百から」

     「わしも、これからこれから」  男は鼻たれ小僧のようだ。 

除夜の鐘は、108の煩悩を祓うためといわれるが、この頃のゴルフのスコアーは、
ワンラウド108回で終わることが、多くなったので、スコアーを聞かれたら「除夜の鐘」
と同じで煩悩を祓いましたと言います。
また、110回のスコアーは、「百獣の王」と言います。

除夜の鐘を鳴らすのは、「梵鐘・釣鐘」と、「鐘木(しゅもく)」が必要ですが、
48トンの梵鐘を10人かかりで鐘木を動かして鳴らしたことがあります。

山間に荘厳な響きと余韻に漂う仏教的無常観で聞くことが出来ました。
この48トンの梵鐘は、富山県の「老子(おいこ)製作所」が、製作されたもので、
日本の梵鐘の製作の過半数を占めるとのことです。

梵鐘は、御六字といって「南無阿弥陀仏」と唱えながら朝夕6時の二回、
6回鳴らすのが正式と思っています。
朝、寛永寺の六時の鐘の音を聞きながら徘徊しておりますが、6回に
拘らず鳴らすので気になるものですから。

伊勢神宮に行ってきたので、戌年のついでに、伊勢神宮では、「おかげ犬」と
呼ばれた犬の、人形・クッキーがある。江戸時代に八丈島から、
逃亡した囚人は、最後に額に「犬」という字を彫られたとのことです。

伊勢神宮には、神様の乗る馬という、御厩(みうまや)に「神馬(しんめ」」が、
御厩の神馬が二頭います。私の所有の馬は、神馬にはなれないものか。

「お伊勢参らば朝熊(あさま)をかけよ、朝熊かけねば片参り」という言い
伝えがありますが、朝熊山には金剛證寺もお参りするのが正式な
お参りとのことです。
伊勢神宮は、「神道」、金剛證寺は、「仏教」となるので、両方お参り
しなければ、片参りになるからとのこと。

金剛で思い出しましたので、ついでに、世界最古の会社は578年創業の、
「株式会社金剛組」という会社で、聖徳太子によって百済より招かれた
宮大工で、江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの建設会社です。

今回も、話が梵鐘、鐘木、おかげ犬、神馬、神道、仏教と色々と飛んでし
まいました。

今年は、「犬死」だけ避けたい。私は、まだまだ鼻たれ小僧です。
古稀だからと、「扱(こ)き使う」のだけは、勘弁してください。

平成30年1月31日

小関勝紀

伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ

2017年12月27日 10:30

先日、三重県の伊勢神宮、伊勢・志摩の鳥羽・英虞湾、名古屋に行ってきました。

日本でのサミット開催地の沖縄でのブセナテラスホテル、洞爺湖でのウィンザーホテルと
それぞれ数回ずつ宿泊したことがあるので、伊勢志摩サミットの会場の志摩観光ホテルも
宿泊を希望しましたが、叶いませんでした。

「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ尾張名古屋は城で持つ」は伊勢音頭の歌詞である。

三重県には、「その手は桑名の焼き蛤(はまぐり)」と「東海道中膝栗毛」の野次郎兵衛・喜多八も
桑名で焼き蛤を肴に酒をのんでいるシーンがある。ドライブインで「桑名にきたら蛤を桑名(食な)」
という看板があったので、食しましたがおいしかったです。

「津」は世界で一番短い駅名として話題になるが、伊勢津藩主の藤堂高虎の事をすぐ思い出
したことがあった。

天海僧正が、東叡山寛永寺は、徳川家光の時代に伊勢津藩主の藤堂高虎、弘前藩主の
津軽信枚、越後村上藩主堀直寄の三家の大名下屋敷を潰して建立したものです。寛永寺は
天台宗関東総本山の寺院で本尊は薬師如来である。

そして、不忍池(しのばずのいけ)は琵琶湖に見立てて、京の比叡山延暦寺に模して上野の
丘に東叡山寛永寺を創建した。

不忍池の地名の由来は、上野台地と本郷台地の間の地名が忍ケ丘と呼ばれていたことに
由来すると石碑にある。が異説では周囲に笹=篠(しの)が多く茂っていたことから
篠輪津(しのわず)が転じて不忍になったという説もある。
「津」は、類似語に港・湊であるが、この篠輪津の「津」は縄文時代まで、東京湾の入江
として海水が来ていたので「津」という。
三重の津は、伊勢神宮にお参りするための、船着き場からの地名である。

因みに、弥生式文化とは不忍池の傍の本郷台地にある弥生町の地名から命名されたもので、
海の幸の豊さ、水田農耕と行っていたことが想像できる。

伊勢市には、切手の絵柄になった夫婦岩・二見興玉神社がありますが、蛙(カエル)の置物が
沢山ありますが、浄土にカエルとの方便を教えるためとのこと。

不忍池は、明治17年不忍池の周回を明治天皇が観戦した天覧試合を、春秋二回開催
したところでもあります。
不忍池が選ばれたのは、パリ・ブローニュの森にあるロンシャン競馬場などを意識、
貴族の社交場・屋外の鹿鳴館として上野公園内が相応しいと定めたとあります。

ロンシャン競馬場では、現在凱旋門賞を開催していましたが、バッグなどのブランド品は
馬具屋が、longchamp(ロンシャン)、HERMES(エルメス)、COACH(コーチ)は、もともと馬具の
革製品の創業者です。

馬具の鞍(くら)を英語ではサドラ(saddle)ですが、馬具屋をサドラーといいますが、
自転車の腰掛をサドルといい、昔の自転車は革のものを使用装着されていました。

今年の年賀状の絵柄は、夫婦岩・二見興玉神社から見た朝日をしましたが、
私も間もなく古稀を迎えるので浄土でなく、青春に「カエル」、と生きたいものです。

ジオパークボスは、中山競馬場で4着の掲示板、次走が14着という着順でしたが、
放牧調整に入りました。調教師から次走は、ダートから芝を試したいとのこと。
ジオパーククィーンは、笠松競馬場で、2着、1着と頑張っています。
馬ばかり走らせることなく、私も走り続けます。

                                     平成29年12月31日
                                           小関勝紀

発酵・醸造の食文化は野田・流山が発祥の地

2017年11月30日 09:53

平成29年11月12日日曜日に、キッコーマン野田本社で、「発醸文化シンポジウム」に
参加しました。
「江戸食文化」の主役は野田の醤油と流山の味醂(みりん)と江戸前がテーマでした。
知人の日本料理人の講演もあり、日本料理の調味料の変遷も参考になりました。

日本料理の「さしすせそ」という言葉を耳にしますが、「さ」は砂糖、」「し」は塩、
「す」は酢、「せ」は醤油・せうゆ、「そ」は味噌を表します。
また、五味とは、甘味、苦味、酸味、塩味、旨味です。

これらの味覚の、醤油、味醂、味噌、酒は、東葛地区の野田市・流山市・柏市で
江戸時代から生産をしていた。

江戸川流域に位置する東葛地域は、荒川・江戸川・利根川と原料としての水、
江戸に運搬する水路としての川、原料としての枝豆・米が豊富であったからと
いわれる。

数回の江戸の大火で、復興のために地方から職人が集まっても、食事をする
建物がなく、屋台文化が発達した。
江戸庶民の食物として蕎麦、鰻、柳川鍋、握り寿司、佃煮、奈良漬けは、
醤油・味醂があれば容易に料理できたので、江戸食文化の味覚には欠かせない
調味料として定着した。

江戸前海は、海では穴子、鰻と魚が豊富だったので、江戸前寿司・佃煮として発達した。

関東東京のすき焼き、親子丼、カツどん、蕎麦、柳川鍋、佃煮等の料理は甘味で
成り立っていると感じています。
さらに、旨味として、昆布・椎茸・鰹節を用い、そこに甘味として味醂・砂糖を用いた
料理が多い。

味噌、味醂、日本酒の製造には、麹(糀)の発酵・醸造(=発醸・はつじょう)文化の
発達があります。

発醸文化の発酵菌・酵母菌は、日本が気候、風土、樽の原料の木、蔵が一致して
いると思います。

発醸を発情と聞こえるのは、調教師から間もなくデビューする予定の、ジオパークボス牡馬の
発情の馬ッケが心配との報告があったものですから。因みに牝馬の発情はフケといいます。

発醸・発情は未来へ向けたエネルギーだ!「おもてなし」、「和食」は日本の文化です。

「納豆く」です。


平成29年11月30日
小関勝紀